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【いっぺん Vol.52  小日向とわ「ポケットラジオ」 written by 田川ミメイ】

 

実は、あたしは800字が苦手だ。
ほうっておけばダラダラと書き続けてしまうタチなので、
たとえば目の前にあるレモン一個について(ただ端的にレモンという
果実についてだけを)書き綴るのなら、 800字でどうにか(どうにか?) 
収まるかもしれない。
でもそれでは、物語は生まれない。
800字という、この小さな空間の中で「物語」を描くなんて。
ましてや、そこでヒトを動かし、想いを伝えるなんて。
と、それだけで、あたしはもう後じさりしてしまうのだ。

でも、この「ポケットラジオ」を読んで、あたしの目からウロコが落ちた。
ぽろり、はらりと、どんどん落ちて、最後には目がすうすう沁みた。
時季はずれの花粉症か、と慌てるほどに。

空港でバイトしている「僕」の先輩であるリョウちゃんについての説明は、
わずかに最初の数行だけ。
だが、この作品を読み終えたあと、もう一度ここを読み返してみると、
この数行が見事なプロローグであることが、よく分かる。
これから起きるすべてのことを示唆している。

 背が高いから窓拭き専門。
 フロアを掃除する機械が扱えない。
 遅刻も残業もしない。ほとんど喋らない。<NO>といわない。
 そういう時は返事をしないか、走ってどこかへ行ってしまう。

そんなリョウちゃんは、休憩時間でも喋ることなく、
繭にこもるようにして、ひとりラジオを聞いている。
でも「僕」には、そのときの彼が『とてもおしゃべりに見えた』という。
おしゃべりに見えた? 
そのコトバに引っかかる。え、と思う。
黙っているのに、おしゃべりに見える顔って、いったいどんな顔なんだ。
そう思うのだが、それについての説明は、ここではいっさいない。
だが、その次の、
『肩を叩いて「休憩、終わりです」
 と伝えると、おしゃべりな顔をこっちに向けてちょっとだけ笑った。』
という文章を読んだとたん、
なぜかその「おしゃべりな顔」が、はっきりと見えたのだ。
それどころか、自分がリョウちゃんの肩に触れたようにさえ思えて、
そのぬくもりと、骨の硬さまでも感じてしまう。
そして、そのおしゃべりな笑顔に、わけもなく戸惑う。
と同時に切なくなる。
それが何故なのか分からないのだけど、でもとにかく、
ここであたしのキモチは、一気にリョウちゃんに向かっていった。

そこからはもう全てが見える。
勢いよく走り出すリョウちゃん。
ターミナルビルを抜け駐車場を越えても、
ただひたすら走り続けるリョウちゃん。
ひとりっきりで走り去っていったリョウちゃんは、
それきり作品に姿を見せない。
でもあたしの目には、
部屋の窓から空を見あげるリョウちゃんが見えるのだった。
繭の中で、膝をかかえて。
静かなあの笑顔で。

ぽんと置かれたような最後の一行が、やけに切ない。
タイトルの「ポケットラジオ」というコトバが、たまらなく哀しい。

読み終えて、ほうと長いため息をつきながら、しみじみ考える。
この小説の、いったい何が哀しいのかと。
決してじめじめと暗い小説でもなく、
ぐいぐいと迫ってくる物語ではないのに、だ。
ただ、その哀しみは、同情とか憐れみとかそういう類のものではない。
そのことだけはよく分かる。

「僕」の視線は、淡々と「リョウちゃん」の姿を描いている。
そこには、一切「僕」の「感情」がはさまれていない。
だからこそ、「僕」の目に、あたしの目が重なった。
その瞳を通して、そっと、でもしっかりとリョウちゃんを見ていた。

窓拭きが上手なリョウちゃんに、
もう逢えないであろうことが淋しかった。
おしゃべりな顔で笑う彼を思うと、切なかった。
それでも、みんな―リョウちゃんも、お母さんも、僕も―生きている。
そして、これからも生きていく。
そのことが哀しかったのだ。
たぶん、きっと。

こうやって書いてみて、あらためて思うのだけど。
これが「800字」の感想とはとても思えない。
まるで、長編を一本読み終えて、
じゅうぶんに余韻を味わったあとのよう。
800字でも、こんなに奥行きのある物語が書けるなんて。
まさにそのことが、
あたしの目からウロコをはらはらと剥がしたのだ。

描写も説明も簡潔で無駄がなく、それでいて優しい。
そう、なによりも「僕」の視線が優しいのだ。
「僕」の思いや感情は一切書かれていないのに、
彼が優しいヒトだと分かってしまう。
たぶん、その優しさは、作者の優しさなのだ。
それこそが、この小説に奥行きを与えている。
深い余韻を残している。

ということは。
小説というものは、むだを削ぎ落とせば削ぎ落とすほど、
書き手が顕わになるものなのかも。
むきだしの自分が見えるものかも。

そう考えると「800字」ってやっぱり怖い。
と、またもあたしは、じりじりと後じさりしてしまうのだった。


[いっぺん 800字Special  ゲスト選者:田川ミメイ]
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